シングルマザーの三兄弟国公立医学部現役合格日記

この春、二人の兄に続いて末っ子の三男が某国立大学医学部に入学。でも一番驚いているのは母親の私。なんでお前たちが現役で医学部に受かるんだ?三人三様のドタバタの医学部受験を振り返って。

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あんな奴、父親じゃない! 父は反面教師?

彼らの父親の話を少し


受験とは直接関係はありませんが、成長期の彼らの人生観、価値観を大きく変えたと思われるからです


離婚をした時、子ども達は中2 小6 小4でした
これからまさに思春期へと向かっていく3人の男の子たち
母親一人で、きちんと育てていけるのか、本当に不安でした


子どもにとって、やはり父親は必要ではないのか?
難しい年ごろの子ども達が、道を間違えそうになった時、力づくでそれを止めることが私にできるのか?


子育てを手伝ってくれた母が難病の宣告を受けたのもこの頃
病状は進行し、もう一人では起き上がることすら難しくなっていました


夫に女性がいることは少し前から分かっていたのですが、子ども達の前では平静を装い、
離婚は次男の受験の後にするつもりでした。夫は平気で家を空けるようになり、あげくには入試の2日前のあの修羅場・・・


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次男は第一志望のK成中学の受験の直前

塾に送って行く車の中で、私にこう言いました


お母さん

ぼく、絶対受かってみせる

古澤先生(次男が尊敬していた塾の先生)が、受験は家族みんなでのりこえるものだって

ぼくがK成に受かったら、お父さん離婚をやめて、戻ってくれると思う


わたしの目を食い入るように見て、声を振るわせていました

次男が、かわいそうで

わたしは何も言えませんでした


次男は、滑り止めの1学校以外は

すべて不合格


そして夫は受験が終わるや、すべてを捨てて家を出て行ってしまいました




大好きだったお父さんの、突然の裏切り

どんなにかショックで不安だったかと


私は自分の気持ちを保つのに必死でした

その頃こどもたちがどんな思いでいたのか?

三男が毎晩、お父さんに会いたいと泣きながら、私の布団にもぐり込んできたことしか、覚えていないのです


そんな夫でも、私のせいで子ども達から父親を奪ってしまったのではないか
もう少しできることはあったのではないかと ずいぶん悩みました


そんな私の心配をよそに、子ども達はまっすぐ?育ちました
もちろん小さな悪さをして学校に呼び出されたり、反抗的な態度を取ったりは色々ありましたが、私を心底困らせるようなことはしませんでした


私はうつの持病があり、よく体調を崩して休職したり、入院したりしていましたから、ストレスをかけすぎるとまずいと加減していたのかも
親がいなかったり、弱すぎると、子供は当然するべき反抗すらできないのかもしれません
反抗期を持てなかったことが、子ども達のこれからにどういう影響を与えるのか、若干気がかりではあります


子どもは父親にどんな感情を持っているのか
父親も医師なので、その反発やライバル心から長男が医師を志し、さらには父の出身校のA大学を目指したのだろう
私は勝手にそう思っていて、受験の前に長男に尋ねたことがあります


「あんな奴、父親でもなんでもない。俺の前で、二度とあいつの話はしないでくれ」
と吐き捨てるように言いました


次男も似たような反応
「あいつのせいで、俺はK成中に落ちたんだ。今でも恨んでる。あんな奴とは、もう一生会わない」


三男だけは少し違います
まだ小さくて、離婚の事情をよく理解できなかったからなのかも知れません
「お父さんのやったことは悪いけど、ぼくはそこまであの人を嫌いにはなれない。なぜならぼくとお父さんって、考え方とかけっこう似てるんだよ」


三男だけは父親と連絡を取り合っていて、年に一度ぐらいですが会いに行っているようです(兄たちにはもちろん内緒で)


私にとっても離婚は衝撃的な出来事で、何とか今までやってこれたのは本当に幸運でした。


男の子にとって、父親は必要か?
一緒に暮らす優しい父親でなくても、反面教師という存在もありますね


いずれにしても、子どもは父親の存在を完全に否定することはできません

どこかで折り合いをつけていかないと

あとは、彼らが考えていくことですが




次はいよいよ、次男の大学受験編 優等生が医学部を目指すとどうなる?です

次男に教わったこと 挫折が多いほど良い医者になれるんだよ

受験生にとって一番大事なものは何でしょう?


まだ幼い中学受験生にとって、一番大事なもの


それは家族の愛情だと思います


中学受験はただの手段です

合否の結果は実はそれほど問題ではない


次男にとって悲劇だったのは

大好きで、心から信頼していたお父さんに裏切られたことです


裏切り行為がわかった後、すぐに離婚をしていれば良かったのでしょうが


受験が終わるまでと思い、離婚を先延ばしにしました


私はその間、子ども達に悟られないように必死でした


夫は、その後も当直だと言って

たびたび女性のところに泊まってきました


子どもの誕生日も、クリスマスも

そして受験の直前も


私は受験前前日のその日


夫が、女性のところから帰ってくると思うと

つらくて

冷静ではいられず

内鍵とチェーンを閉めてしまいました


夫の顔をみたくなかった

そんなにその女がいいなら

家に帰ってこなければいい


もう少し、がまんして

知らないふりを続けるべきだったのでしょう



でも、できませんでした

何もかも、限界で

私ももうどうにかなりそう

いや、もうなっていました


閉め出された夫は

リビングのガラスをバンバン叩き


気づいた三男が戸を開けます


帰るなり、激高した夫は、
勉強している次男の目の前で、すべてをぶちまけたのです


お前が離婚を受験までしないって言うから

おれはがまんしてきた

それなのに

受験がなんだ

中学なんてどこでもいいだろう

おまえのせいでおれは家でも、気が休まらない



「子供の前でなんでこと・・・」
私は、ショックでそれ以上言葉が続きません



次男は引きつった顔で自室に駆け込み


大事にしていた塾のテキストをびりびりに破り始めます
もう、受験なんかしない

ぼくがK成受けるなんて言ったから、お父さんとお母さん離婚しちゃうんでしょう」


私は次男がかわいそうで

申し訳なくて

後ろから肩を抱きかかえて一緒に泣きました



2日前にこんなことがあって、受験するのはもう無理かと思いましたが


塾の先生に励ましてもらい、次男は何とか出願した中学校はすべて受験しました


夫は受験が終わった数日後、家を出て行きました


K成中ほか、第2志望、第3志望は不合格


すべり止めのつもりだった1月校には合格し、結局はそこに進学します


2日前の悲劇がなくても、次男はK成中合格は難しかったと思います


模試などでA判定は一度もありません


塾の難関校クラスでもK成に受かったのは

常に上位だった2人だけです


次男はいつもクラスの半分から下の成績でしたから


受かった中学には

最初行かないと次男は言いました


公立に行って

高校でK成をまた目指すと


私は、次男をその中学校につれていきました


実は、いちども学校を訪れたことがなかったのです


受験会場は、幕張メッセ

もともと行くつもりがないので、説明会にも来ていません


受付の方は、事情を聞くと

校内に入れてくれました


部活の時間でした


野球部と、ハンドボール部が練習しています


広いグランドと立派な校舎


しばらく二人とも無言で

校内をぶらぶらしました


そして


ぼく、この学校で頑張るよ


次男の言葉に、私は心からホッとしました



進学した中学で、次男は友人もたくさんでき


陸上部で6年間活動し、実に楽しそうでした



大学生になってからかな

あの時のことを思い返して


「あの日、俺は何が何だかわからなくて

天地がひっくり返るかと思うぐらいショックだった」
と次男


あんなことがあっても、卑屈になることも不機嫌を通すこともなく


ますます朗らかで、陽気な青年に成長してくれました



本当にみんなに感謝です




成績は仕方ありませんが、大人の事情や家庭の環境で受験生に負担がかかるようなことは避けたい
次男のことがあってから、私が受験でいつも気にしていたのはそこです


でも、長男の時も私の入院で

子どもには負担をかけてしまいました


子どもは、家庭環境は選べません


環境はいいに越したことはない

でも、悪い条件の中にあっても、子どもはその中で生きる力をつけていきます


大人が考えるより、子どもはずっと強くてたくましいのだろうと思うのです


私は、教えられることばかりです


挫折や困難が多いほうが患者さんの立場に立てるから、いい医者になれるんだよ


子育てもいい加減

受験生の母としても落第だった私が


せめて医学生の我が子たちに言える言葉です

次男の中学受験 悲劇の日

次男は、中学受験をしました
長男も私立中学には行きましたが、推薦入試なのでいわゆる一般的な中学受験ではありません
三男はお伝えしたように、高校受験組です



次男はいわゆる真面目な優等生タイプ
中学受験の時も、大学入試でもよく勉強していました


高校3年間の勉強量を無理やり比較するなら


長男を1とすると
次男は3、三男は0.7
 と言ったところでしょうか
ちなみに私は、5です 
毎日、平日8時間、休日12時間勉強していましたから  本当です


まあ私のことはどうでもいいのですが・・・


次男は、のちに三男も通う Z学院の小学部に、小4から3年間通いました


Z学院にしたのは
「うちの塾は、7時には終わりますので、家で家族で夕食が取れます」
説明会の時のこの言葉です
私は、小学生が夜遅くまで塾で過ごし、食事も弁当で済ませるというのがどうしても受け入れられませんでした
さらに、試験のたびにクラス替えをすることはせず、本人との相談でクラスを決めるとも言っていました
そこで、迷わずZ学院にしたのです


次男は、一番下のクラスから始めて、楽しそうに塾に通います
塾の課題も、学校の宿題もきちんとこなしていました


小4の秋ごろだったか、定例試験という塾の到達度テストで、算数で偏差値43を取りました
よほど悔しかったのか、塾から帰るなり自室にこもって大泣きしていました
お兄ちゃんも同じ塾でもっとひどい成績をとっても、まったく気にしない様子を見ていましたので、こんなに小さい子がそこまで悔しがるのかと、とても不思議で落ち着かない気分でした


1時間泣き続けた後
「今度の定例は60を取る」
と言って猛然と机に向かい始めたのです


中学受験の経験のない私は、これが4年生の子が見せる反応なのかと、ちょっと怖くなったことを覚えています
次男は着実に実力をつけ、5年生の半ばぐらいには一番上のクラス(と言っても全部で3クラスしかありませんが)に上がります
最初は家の近くのまあまあ評判のいい私立中を志望していましたが、6年生になるころにはあのK成中学を志望するようになっていました


7時には終わると言っていた塾も、6年生になるとさすがに週に1~2回は9時近くまでかかるようになり、あれほど抵抗のあった弁当を持たせるようになります


次男はとにかく真面目な子で、塾の課題が終わらないと、夜の12時を超えてまで勉強を続けようとしました
明日に備えて何とか寝かせようとする私と、もっと勉強したい次男との間でよくバトルが


「○○ちゃん、いい加減に寝なさい。いつまで勉強してるの!」
「だめだよ これが終わらないと寝れないよ」
と次男半べそ


ほかの二人の子にはありえない会話です


いまだによくおぼえているのが、6年生の修学旅行の朝
塾のテキストやらノートを10冊近く持っていこうとする次男と、修学旅行ぐらいは勉強は忘れて楽しんでほしい私


「だめだよ、こんなもの置いていきなさい」
「新幹線とかホテルでやるんだよ、じゃないと間に合わない」


そう言いあって、玄関先でかばんの引っ張り合いをしました
結局次男はいくつかのテキストを持っていきました


塾のクラスでは、周りがみんなK成中を目指しますし、先生たちも
「死ぬ気でやれ」などとはっぱをかけます
12歳の子どもはすっかりその気になり、K成中に行かないと人生始まらないような気持になっていきます


そして、受験本番
受験の2日前に あの 悲劇が起こってしまいます
次男にとっては本当に悪夢のような日々だったことと思います
8年以上たった今でも、思い出すたびに私も胸が詰まります
大人の都合で、次男には本当にかわいそうなことをしました