次男も医学部を 兄のリベンジ?
次男が通ったのは、県内私立の2番手校
中学受験では、首都圏中からお試しで多数の受験生が集まることで有名です
父親が家を出た直後、大震災がありました
直接の被害はありませんが、学校は休校、電車ダイヤは乱れ、我が家でもたびたび計画停電
一体、電車で私立の中学になんて、通えるの?
もう、中学なんて地元の公立で十分
そう思った親は、私の他にもたくさんいたことと思います
次男の学校は、2番手校によくある、面倒見のいい学校です
高校一年生のうちから、校内で駿台や河合の模試
長期休暇には、さまざまな講習
勉強合宿なんていうのもありました
保護者会の度に、分厚い受験用の資料が配られ、親への働きかけも熱心でした
スポーツも盛んで、次男は陸上部でしたが、高校3年の6月まで、週5~6日活動していたと思います
そのため、予備校に定期的に通いだしたのは部活終了後です
部活をしながらも、次男はよく勉強していました
8時過ぎに帰宅、食事と入浴のあと、日付が変わるまで机に向かっていました
次男が医学部を目指した時期は、はっきり記憶がありません
中学2年ぐらいまでは、学校の先生になりたいと言っていた気がします
長男の受験の頃は、すでに自分もA大医学部と言っていましたので、中学の終わりか高校にはいる頃でしょうか
次男は、前も書きましたが、高1からZ会をやっていました
数学と英語だったかな
返却された答案をときどきみせてくれましたが、数学などすばらしい図やグラフと、きれいな数式がびっしり
模範答案の様で、びっくりしました
答案の提出率も良かったと思います
高2までは、模試の成績もとてもよく、数学の偏差値80とか、A大医学部 A~B判定
この子は第一志望に受かるかもとのんきに考えていました
高2の冬頃でしたか
A大医学部のキャンパスを見たいと言うので、一緒に行ったことがあります
私にとっては、母校でもあるし、附属病院で勤務していたこともありますので、かって知ったる場所
ただ、大学の建物内に入るのは、ものすごく久しぶり
学生時代の講堂や部室なんかがそのままで、タイムスリップしたかのよう
次男そっちのけで、キャーキャーはしゃいでしまいました
帰り際、
母さん、俺、来年は絶対このキャンパスに立ってみせる
兄ちゃんのリベンジだ
高校球児なみの熱さでそう言ったので、思わず笑ってしまいました
次男もおじいちゃんに英語を教わりました
長男の受験が終わってまもなくから、受験終了までの約 2年
月に1~2回ですが、最初の頃は父手作りの教材で、文法とか読解を
英字新聞や、英語の小説を読んだり
3年になると、入試問題にトライして
勉強のあと、いつもみんなで夕食をとったのですが、孫たちと雑談をするその時間、父はほんとに幸せそうでした
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